一人の妄想家の面倒臭い日記

暇つぶし用/メモ帳みたいな奴/自著自盛

聖書 社会と圧力 神と空想と落ち零れ星 (題名は適当っす)

エスは死した後に神の右に置かれ、神の敵を全て神の下に置くまで王として人を治めるという。

このことから、イエスは神に認められるほど人智を超えた王としての素質を持ち、その最終的な影響は神の敵に己の低能さを自重させる事であるかもしれない。

また、イエスは戦うことなどせず、平和を使って戦争を握り潰すらしい。本来、戦争が平和を倒落するのが普通なのに、その逆を行える。イエスの持つ矛盾力はあらゆる偉人・英雄を超えるだろう。そういった観点から見て、様々な団体や個人による「イエスが大したことないよ評」はほぼ全て、見識が足りないために計り間違えているだけだと切り捨てることができる。

 

社会はまるで海の中のように常に身動きが制限される環境だ。想像という行為はそこから解き放たれるためのものだが、そういった非社会的な動きはまるで、海を捨て大地に上陸するが如しである(まあ、陸に上がったところで まともな重力に 適応しなければいけないというのはある。...エンターテインメントは全て陸上での出来事であり、芸能人とは即ち陸上生物なのだろう。)。また、そもそもそういった己を縛る環境を歯牙にもかけず、きっと空を舞う鳥のように、洗練された肉体(=固定観念)を持ち分かり易く決まったように生き続ける天才という存在もいるのだ。また、海があれば深海も存在しそこに生息する特殊なタイプの者もいる。あと、想像世界で社会を成り立たせるためには菌類から始まりそこで根付く植物やそこで生息する虫があると尚良いかもしれない(勿論、苦労さも比例する。)。

この思考を肉体に例えた状況では、現在、人は基本的に進化の過程にある魚類であり、両生類も爬虫類や哺乳類もまだ少数派だ。ここで問題なのが、彼らを支えている大地が何であるかという話だろう。水は知識に例えられる。そして土は意思である。大地とは超巨大な確定した意思であり、陸上生物はその上でその事を知ることもなくそれを踏み進めるだけかもしれない。⦅因みに、韓国なる国は他国との約束を反故することにより、まだ地続きであった日本と韓国の間の大地(=国際社会)に地割れを作った(これはただそうしたというだけでなく、本来なら有り得ないはずの行為をする程教育が行き届いていないという事を示唆していると多くの国々に捉えられた面白事案である。)。⦆

まあ、この例えには生産性がないので、残念だがこれを見た君は時間と糖分を無駄にしているとも言えるのだ。

本題は以下、上記を見ずとも問題ない。

 

神は事実も想像も全て己の者とする。これは、神話にしか神は登場しない事から言える。FGO二部は空想をテーマしている。故にこの世界では真っ当な人間は生き残れないが、全てが綺麗に納まっているのでその中で生きていける人間は幸せであったのだろう。空想は成立しない想像であるが、別の世界ならそれは成立することがあると分かる。もし、人が別環境と関わる事があるならば、当然に空想はそのまま成立しない訳ではないし、だから現実における国家間の歩み寄りは難しいのだ。なぜなら、ある国では空想と断じた発想が別の世界では普通になるからだ。別の環境に来たのなら先ずそこではどのような発想が重要かを見定めなければならない。故に、そこの住民からしたら変な事をしていると捉えられる事がある。私がシナリオで暴走しているように見えたのはそのせいだ。まあ、だから、環境さえ合えば人間は全てに価値があると言え、合う環境が探しても探しても見つからない場合にはその者は場を乱すか消えるかのどちらかしかできない。故に、全ての可能性を網羅し適切な処置を施せば、もしかしたらより良い社会に辿り着けるのかもしれない。え?今まさにそういう風になって来てるって?知るか。まあ、もしそういう風になっているのだとしたら、次のステップに踏み出すのも良いかもしれない。それがいわゆる青春というものであるかもしれない。(FGOの次は青春物だよ。時計塔で繰り広げられる魔術師同士の禁断の恋愛物語! 抑止力の姿が遂に…?)

では、そこにおいて、神はなんであるか。

神は環境の如く強大であり、まさにそういった社会の落ち零れ達の最後の希望であると言える。逆説的に、神に願う人々は安住の地を求めている今は社会に適していない存在だと言える。果たして、その今は社会に適していない存在の未知なる分野での生産性はどれほどであるか。切り捨てた者の中にその世界で星となり得る者は一体いくらいたのか。そして、過去に何度も未知である存在に自分達の方針を押し付け切り捨てたコミュ障でありサイコパスであり先見の無い西洋人という民族は、今、これについて果たして理解することができるのだろうか。

 

私は思う。西暦は必ずどこかで成り立たなくなる、と。