一人の妄想家の面倒臭い日記

暇つぶし用/メモ帳みたいな奴/自著自盛

聖書⑥()   ~結論学~

エス君が 雑種 であるという事、どの程度まで混合されているのかという話をですね、していきますよっと

 

限りなく私刑に近い死刑を食らいその状態を偶像として未来永劫に辱められている点から、社会的及び種的に最大に深いのでしょう。

そして神に認められ右という聖を意味する属性を有する特殊な位置に座っているという点から、最大に高いのでしょう。

 

つまり、彼は天国と地獄を超越し、今も尚同時に経験しているという訳ですね。

ここから、彼は過去・現在・未来全てに適応できる“巨人”であり、他者は、相対的価値観では彼を測り難く、絶対的価値観を彼から得得るという話にもなります。

 

それは固定的と流動的(、蒸発的)、電荷的、そして臨界的、重点的であるとも言えます。(※各用語は化学用語のアレンジ)

このように、どうとでも取れる、もしくはどんな状況でもやろうと思ったことをほぼ全て可能にできるという性質がみてとれましょう。そこに、キリスト教の意義はあります。彼を祀る()者達は彼に共感する点を持っているのは当然です。そしてそのような団体はあらゆる分野に精通していると言えるのです。それは定着すれば非常に強固です。

 

さて、ここまで、書いて不思議に思ったでしょう。イエスはただの一主人公だし聖書は一作品でしかないのに、なぜこんなことになったの、と。

通づる者の心理だけを的確に掌握し、操作していく、それは文章能力をある程度持つ者なら誰しも必然的偶然に見つける事ができる程度の事案ですよね。

……………………聖書は、それを書いた人の超社会的人種制御ツールであります。

これが一つ目の結論です。

 

 

書いた人は作品内で、自身はイエスに見惚れたと言っています。それは作者なら誰しもが経験のある「キャラ=己の魂の一部」という理屈で修了ですけど、実は作者は彼がこの作品を生まれる前に予言したと言っているのです。まさに創成光年・逆行運河の如く確かに覚醒イエスは実体と霊体(Fate世界観とは違い、光の塊に近い)を行き来できるようですし、既存の物理学的(1)また新規の量子力学的(2)本宇宙の流れに逆らったり(>1)そこに己の情報を刻む(>2)こともできたでしょう。

……………………つまり、聖書とはイエス本人が望み与えたモノになるのです。

確かに能あるうんたらと言いますし、彼は力を広めたくは無かったのかもしれません。皮肉な事になってますけどwwww

で、これが二つ目の結論になります。

 

 

 

そしてこの二つは表面的に対立を生じています。

しかし、裏面的に協力しています。

 

これこそ、聖書の「相対的絶対性ー絶対的相対性」になります。(ここまで来て、どちらとも取れる点が見えるのもしゅごいいいい、対称性を内包しているの本当に尊敬する。まあ、矛盾がある時点で、あれ?なんか対称的じゃね?って思った人は絶対いるでしょう。蛇足:似て非なるこの二つが重なる事で真の美学を修了デキルカモカモ。)

 

以上終了