twitterについて 懇願
気紛れで天気屋、偶に特殊な人の真似をして適当に生きていた。そんな時に呟きという、ある意味で魂に形を与えて発する行為は、強さを捨てるが賢くなれる道なのでは無いかと思った事がある。手始めにやってみて、将棋関係にハマった後、色々と冒険していたっけなあ。蓮舫を揶揄ってアイツの人生に泥を付ける事になったり、猫組長(斉藤さん?)にちょっと失礼な事をしたり、ramhome(高校の女後輩?)と仲良くしたり、、それ以外は別に今は語るような程度の事じゃないけど、割と凄かった。twitterは心と思考の流れるプールなのだから、割と遊びだ。というか時間潰しがメイン。だから私もそれを踏まえた上で色々と呟いて来た。本気にしてはいけない。
思い返して、これは色々と(いつも通り省略)特異過ぎるのでこの時代には何かあるし、俺にも何かあると思わずにはいられない。それが全て綺麗に社会と結びつくのは、新しい時代が興る時位だろう。だからそれまでは、この事件もあの事件も、全てが平成という偶然の中の普通だと思ってくれれば良いさ。これを今見てる奴()、自分が知っている常識と違うからと言って俺の行為が破断に値すると思ってしまっている奴は特に、平成が終わればどれもこれも消えて無くなるので、用心した方が良いかもな。よって常識に依存するな。それは不安定に安定している(直線が適当に散らばっている感じ)し、それを扱うのは人ではない別の何かなんだ。( 因みに人は安定に不安定(単振動) )
未成人が人と違う思考をしている場合、
①方針が普通で知識も普通である。②方針が普通で知識が普通ではない。③方針が普通ではなく知識は普通。④方針が普通ではなく知識も普通ではない。の四パターンでざっくり説明すると(これ以外でパッと思いつかなかったから)、
①は先天的後天的共に一般、②は先天的に一般、後天的に逸般、③は先天的に逸般、後天的に一般、④は先天的後天的に逸般、であり、それはほぼ家庭の問題であると言える。そういうしがらみ?は強固であり、他者が干渉した所でその数が多く無ければ基本的に問題ではないし、相性が良い場合は少ないのであまり望めない。人間は生まれた時からやはり皮肉にも人生が決定しているようなものだし、あまり干渉されても徒労に終わるだけだと思う。中学時代に既にこんな事を考えるのが当たり前とまで言われる極東はやはりおかしい。
皆が皆狭い環境で生きることを余儀なくされるのだから、壁を厚くし己を小さくするのは自然だけど、それだけではなく土地と土地の問題が欧州の各国家間と同じ位の文化的差異を持つし、それが時代の影響もあって今の日本は非常に、あらゆる時代の欧州人のそっくりさんが己のままに育っても特に不思議では無いし、それが一過性の者で終わってくれなければ、このままこの国はアメリカと同じで国で無しになってしまう。
極東もアメリカ大陸もアフリカを出発してエジプトで色々あって欧州の問題を解決していく内に隅に追いやられた真逆のタイプの人達が集まりその遺伝的な底に在る“逃げ腰”が原因でこのようなちぐはぐが自然に思えている訳で、どう考えても他の国を相手取るか乗っ取られるかみたいな二択が常にあると思う(日本はおどおどして相手取る。)。それは白か黒かという保守的な思考(アメリカはこれに偶々合っていたために強く居られた)ではなく、赤(血塗られる)か青(血の気が引く)かという生存競争、つまり急進的な思考であり、それは日本に軍配が挙がりそうだけど、核というジョーカー的なルールと実働のグレーゾーンにある存在によってこの戦いは彼らには関係ないものとなるはず(うっかり関係するかも)。そして、それが無理ならこの国の逃げ道はどことなるが、それこそ日本が過大評価し続けている、インド、中東、そしてその総元締め?であるエジプトなのだろう。国民が総出で惹かれる何かがあり、欧州的な思考に染まれば染まる程その傾向は顕著になっていくのだから、まずもって時代との相性も良いはず。
ただ、強くは出れない性質から、歴史を創っていくパターンにはならず、やはり皮肉におそるおそる足を伸ばしていく形に落ち着きそうである。その際に重要?なのが、欲望の捌け口としてまたその民族性の高さを活かして構成されるボランティア団体であり、国際的に有名な組織を除く事で保守の流れを断ち切り、急進()的な新しい組織ができると思われるが、そんな事は私はあまり知らない。私も見えている範囲で語る訳で、それが例え大人数を一斉に相手取れる?ようなものでも、実現的扇動には向かない。私ができるのはせいぜいが流せば流れる輩の相手であり、こういう固い人達を結びついた糸で頑張って誘導していくのは別の誰かになるだろう。誰でも良いが、時代を考えればきっと誰かでは駄目なのだろう。底意地も機転も利くほぼノンキャリアで有名な者、、もう答えは置いて来た。
いやまあ、私が時代に合って無いのは今まで見て来ても明らかなのだし、ちょっとこれ以上は禿げそうなのでやめて下さい。お願いします。
聖書⑥() ~結論学~
イエス君が 雑種 であるという事、どの程度まで混合されているのかという話をですね、していきますよっと
限りなく私刑に近い死刑を食らいその状態を偶像として未来永劫に辱められている点から、社会的及び種的に最大に深いのでしょう。
そして神に認められ右という聖を意味する属性を有する特殊な位置に座っているという点から、最大に高いのでしょう。
つまり、彼は天国と地獄を超越し、今も尚同時に経験しているという訳ですね。
ここから、彼は過去・現在・未来全てに適応できる“巨人”であり、他者は、相対的価値観では彼を測り難く、絶対的価値観を彼から得得るという話にもなります。
それは固定的と流動的(、蒸発的)、電荷的、そして臨界的、重点的であるとも言えます。(※各用語は化学用語のアレンジ)
このように、どうとでも取れる、もしくはどんな状況でもやろうと思ったことをほぼ全て可能にできるという性質がみてとれましょう。そこに、キリスト教の意義はあります。彼を祀る()者達は彼に共感する点を持っているのは当然です。そしてそのような団体はあらゆる分野に精通していると言えるのです。それは定着すれば非常に強固です。
さて、ここまで、書いて不思議に思ったでしょう。イエスはただの一主人公だし聖書は一作品でしかないのに、なぜこんなことになったの、と。
通づる者の心理だけを的確に掌握し、操作していく、それは文章能力をある程度持つ者なら誰しも必然的偶然に見つける事ができる程度の事案ですよね。
……………………聖書は、それを書いた人の超社会的人種制御ツールであります。
これが一つ目の結論です。
書いた人は作品内で、自身はイエスに見惚れたと言っています。それは作者なら誰しもが経験のある「キャラ=己の魂の一部」という理屈で修了ですけど、実は作者は彼がこの作品を生まれる前に予言したと言っているのです。まさに創成光年・逆行運河の如く確かに覚醒イエスは実体と霊体(Fate世界観とは違い、光の塊に近い)を行き来できるようですし、既存の物理学的(1)また新規の量子力学的(2)本宇宙の流れに逆らったり(>1)そこに己の情報を刻む(>2)こともできたでしょう。
……………………つまり、聖書とはイエス本人が望み与えたモノになるのです。
確かに能あるうんたらと言いますし、彼は力を広めたくは無かったのかもしれません。皮肉な事になってますけどwwww
で、これが二つ目の結論になります。
そしてこの二つは表面的に対立を生じています。
しかし、裏面的に協力しています。
これこそ、聖書の「相対的絶対性ー絶対的相対性」になります。(ここまで来て、どちらとも取れる点が見えるのもしゅごいいいい、対称性を内包しているの本当に尊敬する。まあ、矛盾がある時点で、あれ?なんか対称的じゃね?って思った人は絶対いるでしょう。蛇足:似て非なるこの二つが重なる事で真の美学を修了デキルカモカモ。)
以上終了
OP(読み方はお/)の妄想おf妄想 長い…
冒頭
「これは、
かつてより守りし終わりを見ぬ心と、
ただ終わりの中で生き抜くための飽くなき心、
その両者の矛盾無き矛盾の物語である。」
( 黒背景でマシュの声 )
始まりは何であったか、そこに意味はなく、終わりはどこか、それに意義もなく、
中央に居られる空(から)の王、そこにただ一つの礼儀も無く、信じる心だけが血の循環を行う。
( 鯖騎士達の激しく知略に満ちた戦いを映す。 )
( 外套に身を包んだ顔が見えない体格が青年のような一般人、
何らかの理由のために降車しているカルデア陣、
そして心の留まらない思考をしている様子のベリルが順番に映し出される。 )
委ねた心は互いに極致、二つの王は、
( 両側に林がひっそりと佇む一つ道を見つめるモルガン(ブリテンの真の王)の様子と、
特殊な力⦅絵的にはオーラで表現⦆を使用し天候を操作し他の騎士を寄せ付けないローラン(探求の人類悪)の様子が交互に映し出される。 )
更なる王を呼び起こす。
( なんかロマンみたいな人(ビーストⅢ/R)が魔人柱を出す描写が出る。 )
( 空想樹がNARUTOの樹海降誕みたいな感じで戦場を包み込んでいく描写が出る。 )
( 横からこの二つを端に見て、騎士達の揺るがない姿勢が小さく映される。 )
( 両柱が目光線を放ち、情景が白線に覆われていく(※ Mod:この文の後半部)。 )
( ベリルの少し怖い笑顔が一瞬挿入される。 )
A「その戦いを、
( 白面(※)を、端から、脱がれていく外套の流れが上書きしていく描写が出て、 )
止めろー!」
( 例の一般人(=A)の姿が顔が見えないまま垣間見え、 )
( 光に包まれている戦場(※)の上空を星の聖剣が更なる光の流れを纏め横薙ぎしていく。 )
( 暗転する。 )
ベリル「空(から)は満たされ、右も左も混沌とする世界に中芯が聳え立つ。」
END
魔術式 乙π
先ず1/2を1にするための準備を行う。
次に1/7を1にするための反映を行う。
また1/5を1にするための当然を行う。
更に1/3を1にするための変革を行う。
一旦1/11を1にするための帰結を行う。
そして1/1を1のままにする。
また、それを通す道を用意する。
最後に1/13を1にするためにそれを残す。
今年に無理やり納める(納めたい)情報一覧
・ けーかOUT アルテラIN そして七角形は逆七角形に
・陰陽マークと人—抑止力図を組み合わせてみたところ、バサカ、フォリナ、アルエは主要六騎の直外、そのまた直外に秤、讐、月が共に三つ揃って円層を形成している事が判明した。またこの二つの円層には、イエス・キリストの呪いに縛られていて従うしかできないか(前者)、縛られておらず導くことができるか(後者)という解釈でもイケる。
・ムニエルと所長がただの普通の人()枠でFA。
・最後のみ黒歴史に収束したあのアカウントは、実はツイート数を777にしてある。
・上も含めて合計三アカウントあり、一つ目は論ず将の降誕、二つ目は非偽論ず将(どっちやねんw)~みつきサイコパス化計画、三つ目は愉悦用とFGO凸用。
・〇〇〇〇〇〇〇には ボーイスカウト が入る。
・日本ボーイスカウトは意識も能力も持っているが世間に置いて行かれた者達が集い、その上で互いの活躍を求め行動する組織であるべき。あと俺はもう辞める。
・ネトウヨも849も自民も810もよく俺を興じさせてくれた(MVPは810)。というか韓国にアジアの闇を押し付けるには誠に打って付けであった。
・歴史的に見て、そろそろ日本は世界各国に復讐しても良い。今だけでなく歴史的にも破壊の限りを尽くしたとしても問題あるまい。
・ 愛知は良くも悪くも朝鮮的
・フランスとイギリスは電荷における正と負の関係に似ている。
・菅野さあ、頼むからそろそろ勘弁してくれ。
・Fateは適当ではなく、ただのパクリ。だから売れる要素が盛りまくられている。
・実は今日誕生日なんですけど、まさかこれまでパクられていたとは…もはや中国産という事にしておくべき事案か…
・上村が間違えた! ←この人でなし!wwww (←草が四つ、つまり 死ぬほど笑 )
・リテラシーは大切にしましょう。(←無理難題wwww)
男と女について 黒と白
陰陽マークってのを知ってるか?あれがそのまま男と女の関係に当てはまるんだ。
男は白つまりミルクな野郎共、女は黒つまりコーヒーな存在なのよ。出会う前まではね。出会えば男も女も交わった時期に応じて比率の定まるカフェオレになる。(勿論、前提として男は決してコーヒーに女は決してミルクになれない。男はどれだけ戦争等していてもミルクの呪縛からは逃れられない。女はどれだけ平和に生活していてもコーヒーの魔力には抗えない。結婚後はそれぞれの性質が混ざり合うことで中性的に変化していくってことだ。)
聖書 社会と圧力 神と空想と落ち零れ星 (題名は適当っす)
イエスは死した後に神の右に置かれ、神の敵を全て神の下に置くまで王として人を治めるという。
このことから、イエスは神に認められるほど人智を超えた王としての素質を持ち、その最終的な影響は神の敵に己の低能さを自重させる事であるかもしれない。
また、イエスは戦うことなどせず、平和を使って戦争を握り潰すらしい。本来、戦争が平和を倒落するのが普通なのに、その逆を行える。イエスの持つ矛盾力はあらゆる偉人・英雄を超えるだろう。そういった観点から見て、様々な団体や個人による「イエスが大したことないよ評」はほぼ全て、見識が足りないために計り間違えているだけだと切り捨てることができる。
社会はまるで海の中のように常に身動きが制限される環境だ。想像という行為はそこから解き放たれるためのものだが、そういった非社会的な動きはまるで、海を捨て大地に上陸するが如しである(まあ、陸に上がったところで まともな重力に 適応しなければいけないというのはある。...エンターテインメントは全て陸上での出来事であり、芸能人とは即ち陸上生物なのだろう。)。また、そもそもそういった己を縛る環境を歯牙にもかけず、きっと空を舞う鳥のように、洗練された肉体(=固定観念)を持ち分かり易く決まったように生き続ける天才という存在もいるのだ。また、海があれば深海も存在しそこに生息する特殊なタイプの者もいる。あと、想像世界で社会を成り立たせるためには菌類から始まりそこで根付く植物やそこで生息する虫があると尚良いかもしれない(勿論、苦労さも比例する。)。
この思考を肉体に例えた状況では、現在、人は基本的に進化の過程にある魚類であり、両生類も爬虫類や哺乳類もまだ少数派だ。ここで問題なのが、彼らを支えている大地が何であるかという話だろう。水は知識に例えられる。そして土は意思である。大地とは超巨大な確定した意思であり、陸上生物はその上でその事を知ることもなくそれを踏み進めるだけかもしれない。⦅因みに、韓国なる国は他国との約束を反故することにより、まだ地続きであった日本と韓国の間の大地(=国際社会)に地割れを作った(これはただそうしたというだけでなく、本来なら有り得ないはずの行為をする程教育が行き届いていないという事を示唆していると多くの国々に捉えられた面白事案である。)。⦆
まあ、この例えには生産性がないので、残念だがこれを見た君は時間と糖分を無駄にしているとも言えるのだ。
本題は以下、上記を見ずとも問題ない。
神は事実も想像も全て己の者とする。これは、神話にしか神は登場しない事から言える。FGO二部は空想をテーマしている。故にこの世界では真っ当な人間は生き残れないが、全てが綺麗に納まっているのでその中で生きていける人間は幸せであったのだろう。空想は成立しない想像であるが、別の世界ならそれは成立することがあると分かる。もし、人が別環境と関わる事があるならば、当然に空想はそのまま成立しない訳ではないし、だから現実における国家間の歩み寄りは難しいのだ。なぜなら、ある国では空想と断じた発想が別の世界では普通になるからだ。別の環境に来たのなら先ずそこではどのような発想が重要かを見定めなければならない。故に、そこの住民からしたら変な事をしていると捉えられる事がある。私がシナリオで暴走しているように見えたのはそのせいだ。まあ、だから、環境さえ合えば人間は全てに価値があると言え、合う環境が探しても探しても見つからない場合にはその者は場を乱すか消えるかのどちらかしかできない。故に、全ての可能性を網羅し適切な処置を施せば、もしかしたらより良い社会に辿り着けるのかもしれない。え?今まさにそういう風になって来てるって?知るか。まあ、もしそういう風になっているのだとしたら、次のステップに踏み出すのも良いかもしれない。それがいわゆる青春というものであるかもしれない。(FGOの次は青春物だよ。時計塔で繰り広げられる魔術師同士の禁断の恋愛物語! 抑止力の姿が遂に…?)
では、そこにおいて、神はなんであるか。
神は環境の如く強大であり、まさにそういった社会の落ち零れ達の最後の希望であると言える。逆説的に、神に願う人々は安住の地を求めている今は社会に適していない存在だと言える。果たして、その今は社会に適していない存在の未知なる分野での生産性はどれほどであるか。切り捨てた者の中にその世界で星となり得る者は一体いくらいたのか。そして、過去に何度も未知である存在に自分達の方針を押し付け切り捨てたコミュ障でありサイコパスであり先見の無い西洋人という民族は、今、これについて果たして理解することができるのだろうか。
私は思う。西暦は必ずどこかで成り立たなくなる、と。